あなたは心のうちに『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。
わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。
ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。
もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。
ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。
平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」。
すべて肉なる者よ、主の前に静まれ。主はその聖なるすみかから立ちあがられたからである。